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   No.26・February 2003

"fiume" <<川のほとり>>

ed.15, 50cmX35cm, lithograph and woodcut, 2001

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2月1日(土)

 2月になりました。寒いし風邪も流行ってるけれども、とりあえず元気にしています(本当は先週風邪をひきかけたけど)。きのう先月分の最後の更新にも描きましたが、ちょうど今あたらしい作品のスケッチをいろいろしているところで、頭がキャパシティいっぱいな状態です。とはいえ寝食わすれてスケッチ描きなぐっているのではなく、何かをしていても、とりあえず頭の中に見えかけているイメージが気になっている状態です。こうやって考えているのが、結局大好きなのですが、それを絵にまとめあげるという努力をもっともっとしないといけない!と思うこの頃です。

 今月の作品は、「fiume(フィウメと読みます)」というリトグラフと木版画を併用した作品です。fiumeとはイタリア語で「川のほとり」という意味ではなく単に「川」という意味の単語です。だいたいイタリア語(たまに英語)でタイトルをつけるものの、日本語タイトルはもう少し意味的に補足したものをつけることが多いです。版画ではたいてい絵の下に、エディション数とサインとタイトルを書き入れるので、タイトルが絵のジャマをしないように字面(じづら、形としてみた文字の良し悪し)も考慮したりします。この作品は作る前にインスパイアされたものがあったので、作品のエピソードもお話しいやすいかもしれない!というわけで、しりきれトンボの先月のページもそのうち書き足すつもりですので、またみてみてください。(つづく)


2月9日(日)

 最近すっかり運動不足気味です。仕事がら動かない時は本当に動かない(通勤すらないし)冬の毎日。昨夜TVでギリシャのアトス半島のドキュメンタリーを見ました(だから運動不足なのか?)。先月の旅行のとき機内で村上春樹の「雨天炎天」を読んでいて、まさにそのギリシャ編の舞台でした。イコンを描くのも、創作活動ではなく祈りのようなもので、ああいう気持ちで絵を描くのはどういうような感じなんだろうと、思います。

 読書といえば、今月の作品の最初のテーマは「読書」なのです。川の流れのような部分の下が書籍のようになっているのが見えると思います。『読書』という作品は他にもありますが、これはちょうど「インド夜想曲」という小説を読んで、ある意味では読書感想文のような気持ちで作ってみたものです。たぶん、本については以前のこのページにもあると思いますが、イタリア人作家アントニオ・タブッキの作品です。イタリア人作家だけど、舞台はタイトル通りインドで、フランス映画ですが、ビデオにもなっています。観念的な内容で何度よんでも分かったような分からないような感じです(?)。わりと長旅のようなのに、すごく小さなトランク一つで旅をしていて(普段出かける時の私の荷物より小さい気がする、フィクションと言えばそれまでだが)、そういう身軽さというか、感覚的な思いだけの自分をどんどん先へ送りだしているような強さと、ふと「ここはどこなんだ?」というように、あわてて自分をたぐりよせる感覚とが、ふしぎな案配でミックスされている感じ。その間というか、気持ちの交差するようなどころでの、とてもきれいなシーン(お話なので、わたしの脳内で繰り広げられてるだけのシーンですが)が好きです。この絵はそんなシーンの一つについて思ってみたものです。


2月16日(日)

 ひきつづき、TV鑑賞感想。大昔の洞くつ画についての番組をみました。私の好きそうなテーマなのでビデオ録画しておいたまま、途中までしか見ていないのですが、大昔の人が、暗闇の洞くつ奥深くで、自分の手の型を転写することの意味(現代の研究家の推察によるしかないけど)には、ちょっと感動しました。でも、炭を噛み砕いて、ぷぷぷぷぷ!ってやるのはちょっとやだなあ。みましたか?

 自分の存在をなにかに投影するというは、究極の版画ですよね。絵というよりもイメージというものが、そういう意味をより鮮明に持っているというのは、大昔の絵などを見ていると本当にそう思います。そういうところが、私が版画が好きな理由のひとつかもしれないです。

 さて、先月のつづき。「インド夜想曲」アントニオ・タブッキ著は白水社より出ているので、興味のある方は読んでいただくとして、物語(旅)の最後の方に、川の上の方にあらわれる月をみているうちに、あることを思い付くのですが、そのあたりの情景というか感情に心弾かれて作品に作ってみました。もちろん、その場面を絵にしてみたというものではなく、あくまでも「イメージ」です。その情景を含む物語の美しいと思った自分の気持ちを投影した、と言った方が正しいかもしれないです。(ちなみに映画の中では、ストーリーはだいたい忠実ですが、該当のシーンは登場しません)。つづく。


2月23日(日)

 ちょっとお知らせ。「月刊美術」という雑誌の今月号に版画NOWという特集がありまして、そこにちょこっと"fiume"がのっています。本屋さんに行くことがあれば、見てみてください。以上、宣伝おわり。きのう右手の人さし指の先にやけどをしてしまって、ものすごくキーボードが打ちにくい・・。

 というわけで(?)今週はちょっと短かめ。先週、版画と自己投影について書いたことで、作品に投影されているものが、自分の何なのかというのを、ぼーっと考えたりしていました。作品作っておいて「何なのか」というのもかなり無責任な感じがしないでもないですが、ほんとに何なのでしょう?。一生続けてみて死ぬ真際に振り返って見えるもののような気がするのですが、それを見たい気もすごくある一方で、例えば一生ドミノ並べつづけて、最後にぱあああっと全部倒してみて、そこで見えるものが自分なのでなく、並べ続けるて見てきたものが自分だったなんて思うような気がします。結局今見えているもの以上は見えないのだろうか。というようなことをぽんわりと考えながら日々過ぎてゆくでした。つづく。

(2/24追加)「月刊美術」誌のウェブサイトで、3月10日までに限り注文できるようです。
興味のある方は、
こちらをみてくださいね。