カルメラさんとちいさな不寛容

ふだんはリトグラフの作品を作っていますが、10年ぐらい前までしばらく銅版画で物語のようなものを作って、それを手製本に綴じることもしていました。
主人公はすべてカルメラさんというひとで、8作ぐらいシリーズ化していました。
唐突ではありますが、そのころの作品をひとつご紹介します。

「カルメラさんとちいさな不寛容」

1. 
《清らかな生活》
ある丘のうえにカルメラさんというひとが、暮らしていました。カルメラさんは、まいにち朝はやくから起きて、ちいさな家のすみずみまでしっかりはたきをかけて掃除をするのが好きな、一人暮らしの主婦でした。そして、ドーナッツをつくったり、庭でキャベツを育てたり、読書をして日々をすごしていました。ときどき誰かが訪ねてくる時もありましたが、ひとり静かにすごすことをとても大切に思っていたのです。それは、ねこのガブリエルと一緒に暮らすようになっても、変わることはありませんでした。

2.
≪おだやかな日々≫
ねこのガブリエルは、しばらく前のある日、おなかをすかせてカルメラさんの家にやってきました。ずっとねこを飼いたいと思っていたカルメラさんがあれこれと世話を焼き、今ではすっかり懐いています。とはいえ、ガブリエルにもひとりの時間がたくさんありました。ときどきは、はぐれてしまった遠い世界の両親のことを思い出します。いつか迎えてきてくれるのではないだろうか、そんなことを思ったりしながら、大好物のドーナッツを食べたりコーヒーを飲んでごろごろしては、日々を過ごしていました。

3.
≪ひみつの扉≫
カルメラさんの家のかべには、いくつかひみつの扉がありました。ねずみの穴よりすこし大きく、どれもカルメラさんがきれいなカーテンをつけています。そしてその扉の向こう、かべの裏側には、また別の世界がありました。その世界に住む存在がいるのです。カルメラさんはドーナッツをつくると、かべの向こうにもその香りが漂うようにしてあげます。もしお腹がすいていたら食べにくればいいし、欲しければコーヒーもだしてあげるようにしていました。毎週金曜日には、こどものリャマのアントニオがキャベツやドーナッツの外側を食べにやってくるし、いつもスケートボードにのっているクールなおんなの子バンビーナも、よく姿を見せました。

4.
≪現れたよびかけ≫
カルメラさんお手製のポンポンえりまきをしたねこのガブリエルは、バンビーナにとって、ふしぎな存在でした。カルメラさんから、ねこを飼うことにしたと紹介してもらった時から、ちょっと変わったねこだと思っていたものの、とてもうれしそうなカルメラさんをみて、それは言えませんでした。しかし、きょうのバンビーナは何かを企んでいました。

5.
≪掠われたガブリエル≫
バンビーナは、ねこのガブリエルをひみつの扉から広がるかべの裏の世界へ、おびき寄せることに決めました。大好物のドーナッツに紐をつけた仕掛けをつくると、ガブリエルはかんたんにひっかかりました。読書をしていたカルメラさんが気づくことはありませんでした。何が起きたのかまったくわからないガブリエルは、仕掛け罠とも気づかず、ただドーナッツをしっかり握りしめたまま、小さなひみつの扉にぎゅうぎゅうと吸い込まれていってしまいました。

6.
≪真実のとき≫
扉の向こうは、真っ暗でした。しばらくすると目が慣れて、そこにはバンビーナとリャマのアントニオがいるとわかり、ガブリエルはすこしホッとしました。そしてバンビーナが、みんなで楽しいところに行こうよ、とウソをついて、自分のスケートボードにガブリエルを乗せてやりました。なにもわからないガブリエルは、うれしくなりました。前からこのスケートボードに乗ってみたかったのです。その時でした。バンビーナとリャマのアントニオが、いきなりガブリエルのねこ頭巾をひっぱりました。

7.
≪深い悲しみ≫
その頃、カルメラさんはようやくガブリエルがいなくなったことに気がつきました。家の中じゅう、そして庭のキャベツ畑の、キャベツひとつひとつの中までさがしたけれど、みつかりません。どこへ行ってしまったのだろう、紐でつないでおけばよかったのかもしれない、いろんなことが頭をよぎりました。ずっと一人が好きで、ずっと一人暮らしのカルメラさんですが、なんだかとても悲しくなってしまいました。

8.
≪お互いのため意味がない≫
バンビーナには、わかっていたのです。ガブリエルは、宇宙人のこどもでした。両親と宇宙船にいたのに、この街へうっかり落っこちてしまったのです。お腹をすかせてカルメラさんの家にあるドーナッツを食べているところを見つかり、それ以来カルメラさんに「ねこ」として飼われてきました。かわいいねこ頭巾も作ってもらいました。それがバンビーナには気に入りませんでした。ガブリエルは、カルメラさんの求めるねこではないし、カルメラさんは、ガブリエルの求める両親ではありません。なのに、カルメラさんちのねことして暮らすのは間違っている―――バンビーナはそう告げました。

9.
≪自分のための人への思いやりは正しいことではない≫
バンビーナによれば、カルメラさんがガブリエルによせる愛情は、ねこをかわいがりたいという気持ちの代替えであり、本当にガブリエルが求めるカタチを与えているものではない、というのです。そして、ガブリエルもまた、ほんとうなら宇宙船に戻って両親と暮らし、いろんな星を攻撃し征服することが、本当のよろこびのはずで、ドーナッツをもらってなでなでしてもらうことが、幸せではないはずなのです。相手に何かをしてあげたいという自分の欲求、それは自分のためのものでしかなく、また一方で、現実から目を背け代替えのものに甘受する。それらは間違っているのだ、とバンビーナは力説しました。

10.
≪悲しみはずっとつづく≫
ガブリエルはわからなくなりました。宇宙船の両親に会いたい気持ちは確かにありました。そして、もし自分がねこではなく、宇宙人とわかったとき、カルメラさんはこれまでと同じようにドーナッツをくれるのでしょうか。もしくれなかったら、攻撃すればいいのでしょうか。そもそもガブリエルは、ねこらしく過ごしてきたのでしょうか?―――自信はまったくありませんでした。どうしたらよいかもわかりませんでした。ただ、カルメラさんのところに戻って、一緒にドーナッツを食べたいと思いました。それが問題の解決ではないと、それだけはガブリエルにもわかっていました。

11.
≪理解しないことと寛容であること≫
ガブリエルが帰ってきて、カルメラさんはおお喜びでした。本当のねこではないと、気づきたくはないのかもしれません。そしてガブリエルもまた、うれしく思っているようでした。本当に再会をのぞむ家族ではないのにです。すこし高揚したこの場の空気をやさしさと受け止めることは、バンビーナにとって居心地が悪いものでしたが、その場を立ち去るには、ドーナッツのあまい香りが強すぎました。うれしそうな二人の姿を見て、バンビーナにはかすかな怒りすらこみあげましたが、いそいでそれを、もらったドーナッツと一緒に飲み込みました。バンビーナには、わかりませんでした。わかりたくもありませんでした。

* * *

さて。
ここからちゃっかりとした情報。
最近よくみるTシャツなどグッズを作ってくれるサイトで、Tシャツセールをしているというので、なにか作ってみたかったのです。
ということで、このなかの1枚をつかってみました。
よかったら見てみてください →こちらから😀


Book+に参加します。

6月5日(水)から、初台の Book cafe gallery MOTOYAさんにて始まる
「Book+」に参加します(展覧会詳細は末尾にて)。
ずっと「手作り本フェア」として続いて来たもので、私も数年ぶりの参加です。

今回の私の作品は、コルデル文学。
って、なんぞや!と思われる方も多いともいますが、じつは私もつい先日知ったばかり(笑)。

友達から素敵な絵本をもらって、その挿絵がブラジルの木版画家の手によるものと知り、その人のことをしらべていたら「Literatura de Cordelの挿絵で有名」とありました。 Literature de Cordelってなに??と思ってちょっと調べてみたら、露店などで洗濯物みたいに紐(コルデル)に吊るして販売されてた詩と絵(木版画が多かったそう)の冊子のことだそうで。直訳すると「紐文学」なのかな?
また、こういうページ数の少ないこの手の本はチャップ・ブックとも呼ばれているそう。

その売り方の形態はもちろん、身近に、それこそお使いにいったついでに露店で詩や版画に触れるってとても豊かだと思うのです。そして、そういうの私も作りたいと思いました。もちろんホンモノは見たことないので、あくまで想像ではあるものの。それがきっかけとなりました。

てことで、今回のBook+に出展するのがこちら。

「I TRE GATTI NOSTRI われらの3匹の猫」です。
なかの絵はすべてリトグラフで作り、とくに表1+4は直接リトグラフで刷られています(写真の右下にある左を向いてる猫がリトグラフの版の現物)。なかの絵もリトでつくったけれど、表紙以外はスキャンしてプリント、そしてそれをひとつとつ手でちくちくと綴じて製本しました。

猫の絵をかくのはとても難しいものの、それよりも詩を書くのが初めてのことでした。小学生とかそれ以来?

でもせっかくなので、果敢にも無謀にも四行連詩なるものにチャレンジし、韻をふまねばとあれこれひねりだした詩もついてます。なぜか、イタリア語と日本語でつくりました。イタリア語の方が韻が踏みやすいような。

そして、それがどんな詩かといえば、まさに「われらの三匹の猫」、うちの三匹の猫たちへの偏愛というか過剰な愛をしたためました。正確には「わたしの」でいいんだけど、イタリア語で韻をふむために「われら」と複数形になりました笑。

版画アトリエにいる3匹の猫。奥からガブリエル、ラファエル、ウリエルの兄弟猫。
ラファエルちゃん(猫)にラファエルちゃん(版画)をみせびらかすの図

もちろん「コルデル」らしく紐に吊るして展示するように作ったものですが、しかし今回は参加者の多いグループ展ということもあり、紐では吊るさず展示します。とはいえ冊子は自由に手にとってご覧いただけます。どうぞみてみてください!
紙の色は6色、綴り糸も白だったり違うのだったりしますが、中身はどれも同じです。一冊700円。どうぞよろしくお願いします。

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Book+
MOTOYA Book Cafe Gallery(初台)
2019年6月5日(水)−29日(土)13:00−20:00
月曜・火曜はお休み。
ただし、15日(土)16日(日)は日中貸切のため17:00−20:00
入場は閉店30分前まで。
*カフェでの展示になりますので、ワンドリンクオーダーお願いします。
東京都渋谷区初台2−24−7 地図
Phone.03-6362-2082




おまけ。2ヶ月ぐらい前の猫チャリティイベントでは、ちゃんと紐に吊るして展示しました。その時の様子です。

「世界を変えた書物」で作るカルトン

先月、上野の森美術館で開催されていた話題の「世界を変えた書物」展
なんとかギリギリ見に行くことができました。

科学系の本が中心ながら、やはり本という形、そして印刷をみるのはとても楽しい。
なにしろ、当時はまだ、印刷と版画ってそんなに離れてない。

私はよく、版画とくにリトグラフの技法を聞かれたときに、布にたとえてお答えすることがあります。
鶴の恩返しみたいなぱったんぱったん機織りも、工場の機械でがっしゃんがっしゃん大量に織るのも、タテ糸にヨコ糸通している原理はかわりない、版画と印刷も(とりわけリトグラフとオフセット印刷は)そんなかんじなんですよー、というふうに。
いまも手織り作業が生き続けているように、プレス機をぐるぐる回して一枚ずつ版画も生き続けています。

話戻って、この展覧会。
美しい図版も、銅版画などで一枚一枚刷られたもの、本が書かれた内容はもちろん、どれほどものとしても貴重で価値あるものだったのでしょう。
とりわけピラネージの銅版画が本になったのは、眼福としかいいようがない。

そして、グッズもいろいろあって、タブロイドサイズのプログラムが2種類ありました。
こういう紙モノには目がない私。もちろん手に取っているうちに、
・・・これで、カルトンつくれるんじゃない??と思ったのでした。

そうとなれば、予備も含めて多めに買い込んで(失敗したらいかんので笑)、作業あるのみ。

道具はいつものこんな感じです。

厚紙はいぜん作ったカルトン(数年前の個展に、イタリアの新聞紙や和紙にリトグラフを刷って、作りました)の残りがあったのでそれを使いました。

当時は、こんな感じで作っていたのでした。20個以上つくったかな。

さて、今回のは。

この、でっかいノミちゃん(A・ロバート・フック「微細物誌(ミクログラフィア)」1665年)のページをみてたら、もうこの出来上がりが脳内にありました。

表側は、ちょうど本の表紙、背表紙そのものがサイズ的にもぴったり(コロンナ「ポリフィルス狂恋夢」1499年)。

ちょうどA4サイズの紙がはさめます。実用的なのだ。

会場のグッズもいろんなもの(Tシャツとか傘とか風呂敷とか)があったし、なかにはデューラーの図を使ったA4ファイルもあったけど、A4見開きクリアファイルで、こういう本の表がわ、そして中の見開きそのものを使ったやつがあったら、ぜったい買ったのに!

とはいえ、久しぶりにカルトン作りして、細かいところは不具合あれど、自分で使うんだから全然問題なし。いいのが作れました。